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水戸地方裁判所 平成8年(ワ)602号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金一五〇万円及びこれに対する平成八年一一月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

主文と同旨

第二  事案の概要

一  本件は、売買目的物である画幅が贋作であったことを理由として、買主が売主に対し、美術品取引業界における原状回復の慣習又は売買目的物に隠れた瑕疵があったことを原因とする解除もしくは要素の錯誤による無効に基づき売買代金返還請求及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降の遅延損害金を求めた事件である。

二  争いのない事実等

1  原告は美術品の販売等を営むことを目的とする会社であり、被告も同種の営業を行う者であるところ、原告は、平成八年七月一九日、被告から堂本印象作と表示のある花鳥の画幅(掛軸に描かれたもの、以下「本件画幅」という。)一点を金一五〇万円で買い受け(以下「本件売買契約」という。)、同日被告に対し内金三〇万円を支払い、同月二二日に残金一二〇万円を支払って引渡しを受けた。

2  本件訴状送達の日の翌日は平成八年一一月八日である(本件記録)。

三  原告の主張

1  本件画幅は真作ではなかった。

2  原状回復の商慣習の存在

(一) 一般に美術品交換会等美術商団体の市場における取引規約においては、当然に出品作品の真正の保証があり、同市場において売買された作品が後日真作ではなかったことが判明した場合、売主は買主に対して、売値に罰則として一〇パーセントの額を加えた金員を支払って買い戻さなければならない定めがある。

(二) 美術商間の個々の取引においても、右真正の保証は商慣習として確立されており、売買された作品が贋作であることが判明した場合は少なくとも買主は契約を解除し、売買代金の返還を請求することができる。

(三) 原告は、平成八年八月二四日、被告に対し、本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。

3  要素の錯誤の存在

(一) 本件売買契約締結の際、本件画幅を真作として売買する旨の明示又は黙示の意思表示があった。

(二) 被告は老舗の美術商であり、原告は、本件売買契約締結の際、被告から本件画幅が真作である旨申し向けられ、その旨信じて購入したのであるから、重過失はない。

4  瑕疵担保責任の存在

(一) 前記のとおり本件売買契約締結の際本件画幅が真作であることが契約の内容とされ、かつ、原告は贋作であることを知らなかったのであるから、本件売買契約の目的物である本件画幅には、隠れた瑕疵がある。

(二) 原告は、2(三)のとおり解除の意思表示をした。

(三) 3(二)の事情によれば、原告には通常の過失もない。

四  被告の主張

1  原状回復の商慣行について

美術商団体の取引規約は、多数の加入美術商が組織的かつ大量に取引をする場合に紛争防止のために定められているものであるから、そのような市場で行われない美術商間の一対一の取引においては、右規約は適用されず、原告主張のような商慣習があるとはいえない。

2  要素の錯誤について

(一) 本件売買契約締結の際、当事者間に本件画幅を真作として売買する旨の明示又は黙示の意思表示はなく、真作であることは本件売買契約の要素とはなっていない。

本件売買契約締結の際、被告においては真作であるとも贋作であるとも意識して売買したものではなく、原告においても美術商としての鑑識眼と自己の計算及び危険において、現物を見て購入した。なお、堂本印象の作品は高価であり、本件画幅も真作であれば金二〇〇〇万円前後の価値を有するものである。

(二) 原告は、美術商として十数年の豊かな経験と鑑識眼を有し、かつ、本件売買契約締結の際、本件画幅を真作であるか否か半信半疑の状態でありながら、鑑定書や保証書の交付も求めなかったのであるから、原告には錯誤が存在しなかったか、そうでないとしても重大な過失がある。

3  瑕疵担保責任について

(一) 本件売買契約は、現物契約で真作であることは契約の内容となっていないから、贋作であったとしても瑕疵があったとはいえない。また、原告は、真作であるか否か半信半疑であったのであるから、隠れた瑕疵があったともいえいない。

(二) 2(二)の事情により、原告には過失があった。

第三  当裁判所の判断

一  本件画幅の真贋について

証拠(甲四、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、本件画幅は堂本印象の真作ではないことが認められる。

二  現状回復の商慣習の有無について

証拠(甲五ないし七、原告代表者本人、弁論の全趣旨)によれば、美術商団体が行う組織的なせり売りないし交換等の市場取引においては、原告主張の真正の保証があることが認められるが、これが美術商間の偶然的な個々の取引にも適用されるか否かについては、これを認めるに足りる証拠がない。

三  要素の錯誤について

1  本件売買契約締結当時、原告代表者は少なくとも一〇年位、被告は二〇年余、業として書画等の取引経験を有する者であり、両者は互いに本件売買契約の約一〇年前から美術商として知り合い、取引例もあった(被告本人、本件記録中の原告の商業登記簿謄本、弁論の全趣旨)。なお、両者間に本件売買契約以前に取引上の紛争があったことも窺われるが、その真相及び本件とどのような関連を有するかは必ずしも明らかでない。

2  被告は、原告代表者が以前から横山大観(以下「大観」という。)の作品に興味を示し、これを売買していると聞き及んでいたので、本件売買契約に先立ち、原告代表者に電話をかけて大観の作品がある旨を伝えたところ、原告代表者は、本件売買契約締結当日被告方店舗を訪問した。そして、原告代表者は、被告から、大観の画幅を見せられ、それは真作であると思ったものの傷の汚れがあったので購入しないことにしたが、同店内に飾ってあった本件画幅等にも関心を示すと、被告は、原告代表者に対し、右大観の画幅と同じ家から出たものであるから間違いのない物である旨申し向けた。(原告代表者本人、被告本人、弁論の全趣旨)。

なお、被告は右申し向けの事実を否定するが、この点に関する原告代表者の陳述は、前後の事実経過に自然に適合しており、かつ、真実の体験者でなければ容易に陳述し得ない表現を含んでいるから、信用性が認められるのに対し、被告の陳述は本件画幅の真贋の点について何らやりとりがなかったかのごとくであって、にわかに信用し難い。

3  そこで、原告代表者は、被告と本件画幅の値段の交渉に入り、被告から金二〇〇万円の申出があったが、その減額を申し入れ、結局価格は金一五〇万円に決められた。(原告代表者本人、被告本人、弁論全趣旨)

4  本件画幅は、軸が象牙製で、絵画も出来は良く、二重の箱に入れられるなどして表装も良い(原告代表者本人、被告本人、弁論の全趣旨)。真作ではない画幅としての価格がいかほどかは断定し難いが、原告代表者は金三万円程度、被告は金二〇ないし三〇万円と陳述する。一方、真作であった場合の価格については、被告は前記のとおり金二〇〇〇万円前後と主張し、証拠として美術年鑑を提出するが(乙一)、制作時期、同一作者の他の作品との比較や引き合いの多寡等の条件にもよるであろうし、また、被告本人も真作であった場合には金二〇〇万円以上で売るつもりであった旨陳述している(被告本人調書二六ないし三〇ページ)ことからすると、金二〇〇〇万円前後との主張はにわかに信じ難く、却って、被告の右陳述のとおりであると推認される。なお、被告は本件画幅を金一二〇万円で購入した旨陳述するが、これを裏付ける証拠がない。

5 そこで、本件画幅が真作であることが本件売買契約の要素であるか否かについて検討する。一般に、画幅など古美術品の特定かつ現物の売買において、その物を売買の目的とすることのみが定められ、その他に何ら表示がされない場合は、その作品が真作であることが当然に意思表示ないし契約の要素となるとはいえないが、真作を目的物とすることが明示又は黙示的に表示され、それを前提として意思表示ないし契約がされた場合には、真作であることが意思表示ないし契約の要素となると解される。なお、瑕疵担保責任につき、「凡そ書画骨董の売買、特に多少その経験ある者等の売買にあっては、売主において真筆であることを保証する等して、これを売買の要素とする旨の特約がない限り、真贋の判定は買主の鑑識に委されていて目的物の真贋は買主自身が責任を負うものであると理解すべき」とする裁判例がある(福岡高等裁判所昭和三六年九月九日判決、甲八、乙一〇)が、右趣旨の商慣習の存否はともかくとして、右判旨においても真筆であることの保証等により、これが売買の要素となることを認めているのであって、しかも、一般に要素となるには必ずしも保証がある場合のみに限られず、真作を目的物とすることの明示又は黙示的な意思表示があれば足りると解されるから、右当裁判所の解釈は右裁判例と矛盾するものではない。

そして、本件について検討するに、本件売買契約締結の際、被告が明確に本件画幅が真作であることを保証する旨述べた事実は認めるに足りないが、右1ないし4に認定した原告代表者及び被告の職業経験、両者の関係、本件売買契約締結の経緯、本件画幅の代金額等よれば、本件画幅が真作であることが明示又は少なくとも黙示的には本件売買契約の要素であったと推認される。

6  次に、原告代表者の重過失の有無について検討するに、原告代表者は、前示のとおり書画について長い取引経験を有している上、本件売買契約締結の際本件画幅の真贋については半信半疑であった旨陳述しており(原告代表者本人)、一方、本件売買契約締結の際、鑑定書あるいは保証書の添付を求めておらず(弁論の全趣旨)、ただし書に「品代」とのみ表示した領収書を受け取った(甲二の1、2)。しかしながら、右事実をもって直ちに原告代表者に重過失があったということはできない。

むしろ、前示原告代表者と被告との本件売買契約以前からの関係、本件売買契約締結の経緯等をみると、原告代表者は、仮に当初は真贋につき半信半疑であったとしても、結局被告が書画の取引経験豊かな者であること、原告と被告とが約一〇年来の知己であること及び被告からの誘いに始まる被告の言動等特に真作と思われる大観の画幅と同じ家から出たものであるから間違いがない旨の言辞を信用して本件売買契約締結に至ったことが推認されるから、このような事情の下では、鑑定書や保証書等の添付を求めなかったことなどをもって、重過失があったというべきではない。

7  したがって、本件売買契約においては、本件画幅が堂本印象の真作であることが要素とされ、原告代表者は真作であると信じて購入したが、実は真作ではなかったのであるから、本件売買契約には要素の錯誤があり、そして原告代表者には錯誤につき重大な過失を認めることができないから、原告は本件売買契約の無効を原因として、本件売買契約代金の返還を請求することができる。

四  以上の事実によれば、原告の本訴請求は理由がある。

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